【AI小説】現実のようなフィクション

フィクションでしか描けない“現実”がある。 小説を通して、社会と心のあいだを見つめていく創作ブログです。

『The Last Pitcher ― あの日、天才が現れた ―』 第2話 “黒キャップの怪物”再び――そして紅白戦へ

あの日バッティングセンターで見た“怪物”のスイングが、頭から離れなかった。
 あの破裂音。打球の軌道。余裕の表情。
 そして、何より――見たこともないフォームで、見たこともないボールの飛び方をする“少年”の存在。

 名前はレオ。
 それ以外のことは、何ひとつ分からない。
 年齢も、学年も、どこの高校なのかさえ。

 でも、一つだけ確信できることがあった。

 あのバットスピードと、あのスイングは、絶対に素人じゃない。

 甲子園?
 プロ?
 いや、それでも説明がつかない。

 ……あれは、高校生が持つ技術じゃない。

 そんな思いを抱えたまま数日が過ぎた。

野球部の中に広がる噂

 「颯、バッセンの動画見たか?」
 部室に入ると、後輩の三浦がスマホを片手に興奮していた。

 「動画?」
 とか言いながら、僕はすでに知っている。
 あの時、誰かがスマホを構えていたのを思い出す。

 三浦は僕の前でスマホを再生した。
 画面の中で、レオが天井へ吸い込まれるような弾道を放っていた。
 角度のない、真っ直ぐなライナー。
 一般人が撮ったはずの動画なのに、スイングの速さは隠しきれない。

 コメント欄には、

 「バケモンじゃん」
 「こいつどこのドラ1?」
 「これ高校生?」
 「プロ入り前の動画?」

 ……などと書かれていた。

 僕も同じ気持ちだった。
 でも一つだけ違った。
 僕は実際に目の前で見た。
 “本物”の音を聞いた。

 「颯、これ千葉のバッセンらしいよ」
 「え?」
 「スイングの後ろに写ってる壁のポスター、俺ん家の近所の店と同じだった」

 胸がざわついた。

 ――やっぱり、本当に存在するんだ。

 「で、さ」
 三浦が言いづらそうに続けた。
 「噂だと、監督が“誰か”と会うらしい」

 僕は思わず立ち上がった。
 「それ、レオってことか?」

 「かもしれねぇって、野球部内で話題なんだよ」

 胸の奥が熱くなるのを感じた。

 もしも。もしもあの怪物が本当にウチの高校に来るなら。
 歴史が変わる。チームが変わる。
 そして……僕自身の野球人生も、きっと変わる。

 そんな予感が、突然リアルに姿を見せた。

監督の呼び出し

 放課後。
 グラウンドへ向かおうと靴を履き替えていた時、監督室のドアが開き、監督が顔を出した。

 「朝比奈、ちょっといいか」

 野球を始めて十年以上になるが、このトーンの監督に呼ばれたのは初めてだった。

 「……はい」

 緊張を悟られないようにしながら監督室に入る。

 「紅白戦、わかってるな?」
 「はい、調整してます」

 「それとは別に……お前に見てもらいたい人物がいる」

 やっぱりだ。
 けれど、平静を装う。

 「見てもらいたい人物……ですか?」

 監督は小さく頷く。
 「今日の紅白戦、ひとり“見学”が来る」
 「見学?」
 「まぁ……すぐに分かる」

 いつもならすぐ説明してくれる監督が、今日はそれ以上話さない。
 それが逆に不気味だった。

 僕は深呼吸してから、監督室を出た。

 ――レオかもしれない。

 いや、絶対レオだ。
 だって、あのスイングを見て放っておくはずがない。

紅白戦。始まる前から空気が違った。

 アップをしながら、選手たちはざわついていた。

 「今日さ、見学来るんだろ?」
 「誰だよ、プロ志望?」
 「外部? スカウト?」

 僕は言えなかった。
 本当は“名前を知っているかもしれない存在”を。

 試合開始の整列を終え、ベンチに戻る。

 そのとき――

 見学席のフェンスにもたれていた黒いキャップ。
 真っ黒なパーカー。
 腕を組んでこちらを見ている、あの瞳。

 息が止まった。

 ――レオ。

 バッティングセンターにいた“あの少年”が、まっすぐこちらを見ていた。

試合中のアクシデント

 紅白戦は序盤から接戦だった。
 僕はAチームの三番センター。
 今日は状態も悪くない。

 だが、四回裏の守備。
 センターフライを追っていた一年生の外野手が、着地の瞬間に足をひねって倒れこんだ。

 「大丈夫か!?」「捻挫だ!」

 ベンチがざわつく。

 その選手は、一度立ち上がろうとするも、すぐに崩れ落ちた。

 監督が腕を組んだまま、静かに呟く。
 「……代わりがいない」

 その言葉が落ちた瞬間、空気が固まった。
 練習試合ではない。紅白戦。
 本来、選手は固定で人数が決まっている。

 すると監督が、突然フェンスの方へ歩いていった。

 レオの方へ。

 「ちょ、監督!まさか――」

 誰もが止める間もなく、監督はレオの前で立ち止まった。

 「レオ。いけるか?」

 レオは肩をすくめ、苦笑した。
 「……見学じゃなかったの?」

 「予定変更だ。必要なんだよ、お前が」

 レオはため息をついたあと、ゆっくり立ち上がる。
 「わかった。やるよ」

 マウンドにざわめきが走る。

 「監督!外部の人を紅白戦に出すなんて!」
 「危険ですよ!」
 「だれなんですか、この人!」

 監督は一切振り返らない。
 ただ短く言い放った。

 「文句は、打球を見てから言え」

私服のままバッターボックスへ

 レオはジャージでもユニフォームでもなく、ただの黒パーカーとジーンズ姿。
 それでも違和感がなかった。
 むしろ――そのままの格好のほうが似合っていた。

 バットを手渡されると、一度軽く素振りをした。

 その瞬間、グラウンド全体の音が止まった気がした。

 スイングスピードが明らかに僕たちとは違う。
 金属音すら鳴っていないのに、風切り音だけで周囲が圧倒されていた。

 投手が震えているのが見えた。
 無理もない。

 「バッター、レオ・ミナト……え? ミナト?」
 審判が戸惑いながら名前を確認する。

 レオは何も言わず、バッターボックスに入った。

 一球目、ストライク。
 レオは動かない。

 二球目、ボール。
 三球目、ボール。

 ――四球目。

 ピッチャーが外角低めに逃がそうとした瞬間、
 レオの体がしなり、金属バットのヘッドが鋭く走った。

 カッッッ!!

 グラウンドの空気を切り裂く爆音。
 打球は瞬きをするより速く、センターバックスクリーンのさらに向こう――場外へ消えた。

 「……は?」
 「ちょっ……」
 「おいおい、マジかよ……」

 声にならない悲鳴が、スタンドとベンチから漏れる。
 僕も膝が震えた。

 ただ一人、監督だけは帽子を深くかぶり、静かに笑っていた。

 「ほらな」

 その一言が、練習試合の空気を一変させた。

The Last Pitcher ― あの日、天才が現れた ―』第1話 天才との遭遇

千葉の住宅街にある、いつものバッティングセンター「HIT-99」。
 平日の放課後にしては人が多い。それでも、僕――朝比奈 颯にとっては、ここが一番落ち着ける場所だ。

 野球部のキャプテンなんて肩書きはあるけれど、プレッシャーに強いわけでもない。
 むしろ、重圧に押しつぶされそうな日々のほうが多かった。

 だから、こうして一人でボールを打ち返しているほうが、よほど気が楽だった。

 ――その日までは。

 いつも通りバットを構え、適当に肩を回しながら球を待つ。
 マシンの投球口に「90km」と点灯しているのを確認して、軽くスイングの感覚を確かめた。
 乾いた金属音。悪くはない。

 だが、次の瞬間、その店内に“異音”が響き渡った。

 「カンッッッ!!」

 空気を破裂させるような音。
 地響きすらするような衝撃。
 僕は思わず振り返った。

 ネット天井に白球が突き刺さり、まるで重力を忘れたかのようにズルズルと垂れ落ちてくる。
 ありえない。あれは――プロでも難しい。

 「なに、今の……?」

 周囲の客がざわつき始めた。
 僕も、つられて“そいつ”のほうを見た。

 黒いキャップに、スウェット。
 どこにでもいそうな体格なのに、構えたときの“静けさ”が異様だった。

 少年は、年齢でいえば僕と同じくらい。
 だけど、漂う空気が違っていた。

 次の瞬間、また音が鳴った。

 「カンッ!」
 「え!? 速っ……!」

 打球は、天井のネットを突き破りそうなほど一直線にのぼっていく。
 バッティングセンター中の視線が彼に集中した。

 僕の鼓動も、熱くなっている。

 ――なんだ、あいつ。

 打球の質も、スイングスピードも、体重移動も、レベルが違う。
 見ているだけで、背筋がゾクッとした。

 たかがバッティングセンターの一場面なのに、まるでプロの試合を見ているような緊張感。
 それでも彼は淡々と、ただ淡々と打ち続けていた。

 「おい、見たかよ」「動画撮れ動画」「誰だ、あれ?」

 そんな声があちこちから聞こえる。

 やがて彼がバットを置き、席を立った。
 歩き方は普通。どちらかといえば静かで控えめ。
 だが、あれだけの実力を持つ者が放つオーラは隠せない。

 すれ違う瞬間、僕の視線に気づいたのか、彼がふとこちらを見た。

 その瞳には、どこか遠くを見つめるような影があった。

 「……すごいな、お前」

 気づけば、僕は声をかけていた。
 彼は少し驚いたように瞬きをして、控えめに笑った。

 「ありがとう」

 それだけ言うと、また歩き出した。

 その一言が不思議だった。
 外国人のような響きではない。でも、発音の癖が少しだけ違う。

 「……日本人じゃない?」

 ふっと疑問がよぎった。

 その日の帰り道、僕は頭からあの打球音が離れなかった。
 あのスイングは、ただ者じゃない。
 野球部の仲間たちに話したら、絶対に信じないだろう。

 ――翌日。

 噂は、予想以上のスピードで学校中に広がっていた。

 「昨日のバッセン、やばい奴いたらしいな」
 「天井ぶち抜く勢いだったってよ」
 「動画見た? 再生数エグいぞ」
 「え、地元にあんな奴いんの?」

 僕は思わず聞き耳を立ててしまった。
 スマホを取り出すと、SNSのトレンドに「黒キャップの怪物」という投稿が上がっている。

 ――その動画の中心には、間違いなく彼がいた。

 誰なんだ、本当に。

 放課後。
 部室に行くと、監督が僕を呼び止めた。

 「朝比奈、ちょっと来い」

 監督はいつも淡々としているが、今日は少し雰囲気が違った。
 どこか含みのある目で僕を見つめる。

 「明日の紅白戦、ゲストが来る」

 「ゲスト?」

 野球部に“ゲスト”など聞いたことがない。

 「ちょっとした事情があってな。お前が昨日見た選手……あいつだ

 僕の心臓が止まりそうになった。

 ――え?
 ――なんで、監督が彼を知ってるんだ?

 「彼は……特別な事情がある。とりあえず、試合が終わったら紹介するつもりだったんだが……」

 監督は言葉を濁した。
 その表情から、ただならぬ理由があることは明らかだった。

 「明日の紅白戦は、少し面白くなるぞ」

 監督はそう言って、意味深な笑みを浮かべた。

 その夜、僕はまったく眠れなかった。

 ――あの天才が、野球部に現れる。
 理由も目的も分からないまま。

 このときの僕には想像もつかなかった。
 彼の存在が、チームの運命を大きく変えることを。
 そして、自分自身の野球人生にも、深く関わっていくことを。

 すべては、明日の紅白戦から始まる。

Re:sound 最終話 それでも、歌は世界へ行く

世界の入り口に立った日

冬の空気が、少しだけ刺すように冷たかった。
駅前の広場ではイルミネーションが点灯し、
行き交う人たちが忙しなく年末の空気を運んでいた。

彼女から連絡が来たのは、
ちょうど放課後のチャイムが鳴り終わった頃だった。

「今日、話せる?」

短いメッセージだったけれど、
胸の奥が妙にざわついた。
いい話なのか、そうじゃないのか――そのどちらでもない、
もっと大切な話のような気がしていた。

俺たちは、文化祭のステージから考えられないほど
急速に世界の“入口”に近づいていた。

彼女の歌声を聴いたスカウトは10社以上。
そのうち3社は大手レーベル。
いずれも「すぐにデビューさせたい」という旨を伝えてきた。

でも――
彼女はまだ迷っていた。

だから今日の話は、
きっとただの進路相談ではない。
何か、大切な決断の予感がしていた。

夕暮れの音楽準備室

「入るね」

扉を開けると、彼女はひとりで椅子に座っていた。
ギターケースを抱え、控えめな表情でこちらを見た。

「来てくれて、ありがとう」

夕日が斜めに差し込み、
その横顔を淡いオレンジ色に染めていた。

「今日は……大事な話があるの」

胸の奥が、少しだけ跳ねた。

「実はね、決めたんだ」

ギュッと握った拳が膝の上で震えている。
その震えが何を意味しているのか、まだわからない。

「来年、デビューすることにした」

言葉は静かだった。
でも、その声はしっかり前を向いていた。

「ほんとは、まだ怖いよ。
知らない世界に行くのも、
たくさんの人に見られるのも、
全部、全部こわい」

俯いた彼女の肩が小刻みに揺れた。

「でもね……」

顔を上げる。
その目は涙を含んでいたけれど、決して曇ってはいなかった。

「あの日、文化祭で歌ったとき……
みんなが聴いてくれた時……
あ、わたし、やっていいんだ、って思ったの」

胸が熱くなった。
俺が何かをしたわけじゃないのに、
その言葉に救われたのは俺の方だった。

「君の声は、届くよ。どこまでも」

自然と口に出た。

「ありがとう。
最初に、あの日の動画を褒めてくれたの……君だったから。
あれ、ほんとに嬉しかった」

思ってもみなかった言葉だった。
たった一言の言葉が、誰かの人生を動かすことがある――
それを初めて実感した瞬間だった。

それぞれの道へ

「ひとつお願いがあるの」

彼女はギターケースを開けた。
中には、文化祭の前日に必死で買い替えた
新しいアコースティックギター

「これ、君に持っていてほしい」

「え?なんで?」

「だって、これ……あの文化祭の日、
君の『頑張れ』があったから弾けたんだもん。
これはあの日の証拠だから」

そう言って笑う彼女は、
もう“謎の少女”ではなかった。
どこにでもいる普通の高校生でもなかった。

ひとりの“アーティスト”になっていた。

「いいのか、これ。大事なギターだろ」

「うん。だからこそ、君に」

ギターを抱えた瞬間、
指先が少し震えた。
重さは軽いのに、
意味はとんでもなく重かった。

「わたし……必ず帰ってくるから。
もし世界に行っても、帰る場所はここだから」

胸の奥が熱くなって、言葉が出なかった。

彼女は小さく笑った。

「だからさ、君も……行ってきてよ。
君の音を探す旅に」

「俺の音……?」

「そう。みんな、誰かの音を持ってるでしょ?
君にも絶対あるよ。
誰かを動かす音が」

涙腺が熱くなる。
こんな言葉、反則だ。

日常へ戻るはずだった朝に

デビューを決めたその夜、
彼女から届いたLINEは短かった。

「今日はありがとう。
次に会うとき、ちゃんと“アーティスト”として紹介するね」

次の日、学校は驚くほどのざわめきに包まれた。

文化祭の動画は100万再生を突破。
音楽番組の公式アカウントまでもが
“あの謎の少女を探しています”と呟いた。

そしてついに――
夕方のニュースで、彼女のデビューが正式に報じられた。

“高校生シンガー・HARU(仮名)デビュー決定”
“文化祭で歌った歌声が世界へ”

クラスメイトたちが一斉にスマホを見ながら興奮していた。

その中心に、彼女の姿はなかった。

彼女は、もう“ここの日常”を卒業していた。

世界へ

3月。
俺は駅のベンチに座っていた。
冷たい風が吹き抜け、電車の発車ベルが響く。

「じゃあ、行ってくるね」

大きなトランクと、
ケースに入ったギターを背負った彼女が立っていた。

「帰ってくるよ。ちゃんと。
デビューしたら、文化祭の次は……もっと大きなステージで歌うから。
そのときは、絶対聴きにきてよ」

「もちろんだよ」

彼女の笑顔は、あの日、
路上フェスで歌っていた少女のままだった。

電車のドアが開く。
彼女は一歩踏み出した後、振り返った。

「ありがとう。
君が最初の“聴き手”でよかった」

ドアが閉まり、
電車がゆっくりと動き出す。

彼女は窓越しに手を振り、
その姿は遠ざかっていった。

未来へ響く音

彼女の電車が見えなくなったあとも、
風の中には確かに“あの日の歌声”が残っていた。

俺はそっとギターケースに触れた。

これは、彼女が残した音。
そして――
これから俺が見つけるはずの音。

Re:sound。
響きは戻り、また新しい響きを生む。

彼女の歌は世界へ行く。
だけど、物語はまだ終わらない。

俺たちの音の旅は、
これから始まるのだから。


―― 完 ――

Re:sound 第9話 世界が動いた日 ― 文化祭ライブと火のついた風(後半)

ひとつの歌が、会場の空気を書き換える

サビに入った瞬間、世界が反転したかのようだった。

体育館の全員が息を呑み、
スマホを構えていた手をゆっくり下ろす。

「……すげぇ……」

誰かが漏らした声が、静寂のなかで鮮明に響いた。
観客が“見る”ことすら忘れて、聴き入ってしまっていた。

音が、彼女の声を押し上げる。
彼女の声が、俺たちの音を導く。

まるで、
最初からこの5人で演奏することが決まっていたような一体感。

2番に入る頃には、俺たちの名前が決まったようなものだった。

別に、バンド名なんてなかったけれど。
今日のこの瞬間に限って言えば、
誰もそんなこと気にしていなかった。

ただ、「この声を聴きたい」という衝動だけが、体育館を支配していた。

歓声は、歌い終わってしばらくしてから起きた

曲が終わる。

余韻が広がり、誰も動かない。

「……っ、すごい……」

最初の拍手は、小さく、震えていた。
だけど、次の瞬間には爆発したように広がった。

歓声。
拍手。
叫び声。
泣いている人までいた。

彼女は、少し驚いたように目を見開いた。
まるで“自分がこんな反応をもらえるなんて”と思っているように。

俺たちも同じ気持ちだった。

このライブは、文化祭の枠を完全に飛び越えてしまった。

楽屋に戻った瞬間、現実が押し寄せる

控室に戻ると、スマホが一斉に通知を鳴らし始めた。

「おい、これ……ヤバくない?」

甲斐が震えた声を出しながら画面を見せてくる。

SNSのトレンドに、

#謎の少女
#文化祭ライブ
#Re:sound?(なぜか誰かが勝手につけた)
#あの声の主

が並んでいた。

動画の切り抜きが数十万再生。
コメント欄では“プロですか?”“鳥肌立った”のオンパレード。

遥が顔を覆った。

「ちょっと待って、これ……学校どうなるの……?」

俺は彼女を見る。

「……驚いてる?」

「うん。……ちょっとだけ」

小さく笑ったが、目はまだ震えていた。
これだけの反響を一度に浴びて、平気でいられるわけがない。

だけど、その震えは恐怖だけではなく、

どこか希望のようなものも混じっていた。

次の日、スカウトが学校に来た

文化祭の翌日。
俺たちの教室は“事件現場”みたいにざわついていた。

「絶対あの子だよな?」
「うちの学校の生徒ってマジ?」
「教室どこ?何組?」
「会ってみたい!」

そんな声が飛び交うなか、甲斐が駆け込んできた。

「おい!!玄関にスーツの人らが来てる!音楽事務所らしい!!」

「……嘘だろ」

「マジ。しかも複数社」

全員が一斉に俺を見る。
俺だけが、彼女の連絡先を知っているからだ。

そこでスマホが震えた。

彼女から。

「……今日、会えないかな。少しだけ話したい」

胸が熱くなる。
もしかしたら、この瞬間もまた――
彼女の人生の分岐点なのかもしれなかった。

音楽準備室で、彼女は言った

放課後の音楽準備室。
夕日が差し込む中、彼女はギターを膝に置いて座っていた。

「今日、何社か話を聞いたの」

「……そっか」

「でも、まだ決められない。正直、怖いし」

当然のことだ。
昨日まではただの“歌うのが好きな子”だったのに。

「でもね」

彼女は窓を見上げた。

「今まで……歌っても誰もちゃんと聞いてくれなかった。
でもフェスのとき、そして昨日……。
あんなふうに自分の声が届くなんて思ってなかった」

ゆっくりと、こちらを向いた。

「だから、もう少しだけ歌ってみたい。
自分の声が、どこまで届くのか知りたい」

その言葉を聞いた瞬間、胸が震えた。

「……応援するよ。ずっと」

彼女は微笑んだ。
それは、昨日のライブのどんな歓声よりも、
俺の心を強く揺らした。

“世界の歌姫”になるまでの最初の一歩

その後の展開は、まるで風が押してくれるように早かった。

数社からの正式スカウト。
デモ録音。
動画の再バズリ。
オリジナル曲制作の誘い。

彼女は見違えるようなスピードで階段を上り始めた。

だけど、俺は知っている。

最初に風を起こしたのは――
あの日のあの声。
あの文化祭のステージだった。

その風は、
まだ小さい。
でも、確かに吹き始めていた。

そしてこの瞬間、
俺ははっきりと理解した。

彼女は世界に行く。

俺たちがあの日、体育館で目撃したあの歌――
あれは、始まりにすぎなかったのだ。

Re:sound 第9話 世界が動いた日 ― 文化祭ライブと火のついた風(前半)

体育館の前に生まれた“異様な列”

体育館の外には、開場前だというのに長蛇の列ができていた。
文化祭のバンドイベントで、ここまで人が集まったことなど一度もない。
校門を越えて道路まで伸びるその列は、まるでプロミュージシャンのライブのようだった。

「おい……本当にこれ、文化祭だよな?」

ベースの甲斐が半笑いで呟く。
喉が乾き、心臓の音がやたら大きく響く。

理由はひとつ。

“謎の少女”が歌うかもしれない。

その噂が、ここまで人を動かしてしまった。

控室に響く沈黙

控室に入った瞬間、空気が重くなった。
メンバー全員がソワソワと落ち着かない。

「……で、彼女、来るの?」

ドラムの遥が不安そうに聞く。

「正直わからない」

昨日の夜、返事はなかった。
でも最後に「考えておく」とだけ、彼女は言った。
その一言で、俺は今日ここに立っている。

その時、甲斐が叫ぶ。

「また拡散されてる!」

SNSには“謎の少女の正体求む”がトレンド入り。
学校名、文化祭の会場、動画の切り抜き――
もはや小さな炎上だ。

俺は自分の胸に手を当てた。

——来るのか?
——来ないのか?

どちらの可能性もある。
だけど、ひとつ明確なこともあった。

彼女が来なければ、このステージは空っぽのままだ。

本番15分前、扉の向こうから聞こえた声

本番15分前。
ステージ裏の薄暗いスペースで、誰も話さなかった。

ドラムの遥はスティックを握ったまま深呼吸を繰り返す。
甲斐は落ち着かずに歩き回る。

そのとき――。

「……ごめん。遅くなった」

背後から静かな声が落ちてきた。

振り返る。

そこに――
彼女がいた。

昨夜より少しだけ疲れた表情で、
けれど確かに自分の意志でここに来ていた。

「……来たんだな」

声が震えた。

「友達に怒られてさ。『行かないなら絶交する』って言われた」
彼女は照れながら言った。

その笑顔で、胸がほどけた。

「一回だけ。歌うの」

「……それでいい。十分だよ」

彼女はギターケースを開けた。
迷いのない手つきだった。

「じゃあ、合わせようか」

その声に、俺たちは一斉に立ち上がった。

鳥肌が立つほどの一体感

リハーサルは一発で決まった。
まるで彼女の声を元に作られた曲みたいに、
音が一つに溶けた。

「……やっぱ、この人は本物だよ」

遥が小声で呟く。
甲斐もうなずく。

俺は全員を見て言った。

「行こう」

その瞬間、誰も反論しなかった。

俺たちは、すでに賭けていた。
“あのときの声”を、世界にもう一度響かせるために。

幕が上がり、世界が変わった瞬間

体育館の幕が上がる。

歓声。
スマホの光。
興奮とざわめき。

イントロが響いた瞬間、客席から悲鳴に近い声があがった。

「これ……あの曲じゃない!?」

「本物!?」「嘘でしょ!」

そして――。

彼女の歌声が体育館に流れた。

一瞬で静まる空気。
空気が震える。
息をする音さえ聞こえる。

フェスの動画を超えていた。
昨日のリハをも超えていた。

全身が震える。
涙が出そうになる。

この日――
彼女は“謎の少女”ではなく、“名前のあるひとりの歌い手”になった。

Re:sound 第8話「再生回数と噂」

文化祭が終わった翌日。
 学校はまるで昨日の熱気をそのまま抱えたように騒がしかった。

 廊下を歩くだけで、あちこちからひそひそ声が聞こえる。

「昨日のステージ、やばかったよね!」
「動画の子って、あのボーカルなんだろ?」
「名前、なんて言うんだろ……」

 話題の中心には、美咲がいた。
 当然といえば当然だけれど――
 僕らはその“熱”をどう扱えばいいのかわかっていなかった。

 

◆文化祭後の教室

 教室に入ると、クラスメイトたちが僕に気づき、一斉に駆け寄ってきた。

「昨日のバンド、マジでかっこよかった!
 てか、あの子……誰?」
「動画の子なんでしょ!?
 どうやってスカウトしたの!?」

 質問の嵐。
 僕は曖昧に微笑んで、かわすしかなかった。

「まあ、メンバー募集してて……それで」
「それであんな子入る!?奇跡じゃん!」
「動画のあの声、生で聞けるとは思わなかったよ」

 僕は軽く頭を下げて席に向かったが、心は落ち着かなかった。

 ――美咲は、大丈夫だろうか?

 あの注目の中に放り込まれて、怖い思いをしていなければいい。
 期待の声が彼女を追い詰めていないか。

 胸の奥がざわついた。

 

◆美咲からのメッセージ

 昼休み、スマホが震えた。

「ありがとう。無事だよ。
……ちょっとだけ疲れたけど」

 短いけれど、安心できる言葉だった。

「良かった。
無理しないでね。
今日、話せる?」

 すぐに既読がつく。

「うん。放課後、音楽室で」

 自然と息が軽くなる。

 美咲の返事が来るだけで、こんなに救われるなんて。
 昨日のステージを思い出すと、胸が熱くなった。

 

◆再生回数の異変

 午後の授業が終わり、廊下を歩いていると、羽生に呼び止められた。

「おい!ヤバいぞこれ!」
「どうした?」
SNS見ろ!」

 羽生がスマホを見せてくる。
 そこには――

 “昨日の文化祭ライブ、ついに流出!”

 という文字。

「まさか……!」
「そう、そのまさかだ」

 動画再生画面を開く。
 昨日のステージが、ほぼそのまま撮られていた。

 注目はやはり、美咲の歌声。
 コメント欄は熱狂していた。

“これ本当に高校生?”
“生歌でこのレベルは異常”
“例のフェスの子と同じ声”
“特定班、急げ!”

 そして――
 再生回数は、もう30万を超えていた。

「……早すぎる」
 僕の喉が乾く。

「ネットってのは恐ろしいぜ」
 羽生は苦笑しながら言った。
「嬉しい反面、ちょっと怖いよな」

「美咲は……大丈夫かな」
「それだよな」

 彼の声にも心配が滲んでいた。

 

◆噂の渦に飲み込まれる

 放課後、音楽室に向かう途中でも、
 生徒たちの会話が耳に入ってくる。

「例の動画見た?」
「見た見た!鳥肌ヤバくなかった?」
「声だけで泣きそうになった」
「この学校にあんな天才がいるなんてね」

 美咲の名前こそ出てこない。
 だけど、もう時間の問題だと感じた。

 彼女は名前を出されることを望むだろうか。

 あの恐怖を抱えたまま、また過度な注目を浴びたら――。

 

◆美咲の表情

 音楽室に入ると、美咲は窓のそばに立っていた。
 夕日が髪にあたり、淡く光っている。

「来てくれてありがとう」
「ううん」

 美咲はスマホを握りしめたまま、小さく笑った。

「……見たよ。私たちの動画」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ」
 美咲は苦笑した。
 けれど、その瞳は思ったより強かった。

「でもね、不思議と……前みたいな“怖さ”じゃなかったの」
「どういう気持ち?」

 美咲はゆっくり言葉を探すように口を開いた。

「恥ずかしいし、見られるのはちょっと嫌……
 でも、あのステージのこと、隠したいとは思わなかった」

 その言葉に、僕の胸が熱くなる。

「君の歌が、誰かを動かしてるから」
「……そんな大それたことしてないよ」
「嘘だよ。
 確かに誰かを動かしてる。
 僕も……動かされた」

 美咲は少しだけ頬を赤らめて、視線をそらした。

「昨日のステージ、ほんとに楽しかった。
 あんなふうに歌って……怒られなかった」
「怒るやついるわけないよ」
「そう思えるようになったの。昨日のことがあったから」

 彼女の言葉は温かく、確かだった。

 

◆噂が本物になる瞬間

 その時、音楽室のドアが勢いよく開いた。

「おい!大変だ!」
 羽生が走り込んできた。
 息が荒い。

「どうした?」
Twitterで……もう特定されたっぽい!」

「……っ!」

 美咲の表情が硬くなる。

「名前までは出てない。でも、
 “〇〇高校の文化祭で歌ってた子”って情報が回ってる」

 沙耶も駆け込んできた。

「“例の動画の子はこの学校にいる”って投稿が何個も……!」

 SNSがほぼ確信に向かっていた。

「私……どうすればいいの?」
 美咲の声は震えていた。

 しかしその震えは、以前とは違う。
 恐怖と同時に、何かを決断しようとする気配があった。

 

◆逃げるか、進むか

「無理に表に出なくていい」
 僕はゆっくり言った。
「嫌なら、何もしなくていい。
 誰にも応える必要なんてない」

「……でも」
「でも?」

 美咲は僕をまっすぐ見た。

「私……歌いたい気持ち、あるんだと思う」

 その言葉が心に刺さった。

「ただの自己満足かもしれない。でも、
 昨日のステージで……自分がどれだけ音楽を好きなのか、思い出した」

 美咲の指が、そっと胸元に触れる。

「怖いままでいたくない。
 誰かに期待されて、それで潰れるのが怖くて逃げたくない」

「美咲……」

「逃げたくないって思えるのは……
 みんなが一緒にいてくれたから」

 その言葉に、僕たちは息をのんだ。

 

◆一通の“招待”

 その時、美咲のスマホが震えた。
 画面を見た美咲の目が大きく見開かれる。

「……え?」
「どうした?」
「これ……」

 美咲はスマホを僕に差し出した。

そこには――

音楽事務所LIVETUNE RECORDS”の者です。
昨日のステージを拝見しました。
一度お話しできればと思います。」

 信じられない文面だった。

「……これ、ホンモノ?」
 沙耶が震える声で言う。

「アカウントを調べた。
 公式だった……」
 羽生が呟く。

 瀬古は静かに言った。
「ついに……見つかった」

 美咲はスマホを握りしめた手を震わせながら、言った。

「どうしよう……私……」

 

◆決めるのは、美咲自身

 僕は深く息を吸ってから言った。

「決めるのは君だよ。
 事務所のスカウトに会うかどうかも、
 音楽を続けるかどうかも……全部」

 美咲の瞳が揺れる。

「みんなは……どう思う?」
 美咲が尋ねた。

 沙耶が真っ先に口を開いた。
「美咲ちゃんが歌いたいなら、応援したい。
 どんな道でも」

 羽生がニヤッと笑う。
「スターになっても、俺らのこと忘れんなよ?」

 瀬古は短く言った。
「行け。後悔するな」

 美咲は胸の前で両手を重ね、小さく息を吸った。

「……会ってみる。
 怖いけど、逃げたくないから」

 その決意は震えていたけれど、
 昨日よりもずっと強かった。

 

◆“Re:sound”のこれから

 彼女の決意を聞いた瞬間、
 僕の胸に広がったものは――不安でも嫉妬でもなかった。

 ただ、誇りだった。

 あの声が世界に届くなら。
 彼女が自分の好きな道を選べるなら。

「……応援するよ。全部」
 僕はそう言った。

 美咲は驚いたように僕を見つめ、
 ――ふっと微笑んだ。

「……ありがとう」

 その笑顔には、
 昨日とは違う強さと、優しさと、未来があった。

Re:sound 第7話「文化祭、開幕」

文化祭当日の朝、学校の空気はいつもよりざわついていた。
 校舎の入口には装飾が飾られ、どこからかポップコーンの甘い匂いが漂ってくる。

 けれど、僕の胸の中は静かではなかった。
 緊張で手が汗ばみ、ギターケースの取っ手が妙に重く感じる。

 今日は――本番だ。

 僕たちのステージは午後二時。
 まだ数時間あるのに、心臓はもう本番のリハーサルを始めているみたいだった。

 

◆開場前のざわめき

 校庭はすでに人であふれていた。
 屋台が並び、教室を使った展示やお化け屋敷が列を作っている。

「ねぇ見た?今年の軽音、すごいらしいよ」
「噂の“謎の少女”が出るとか?」
「本当かよ〜!」

 そんな言葉があちこちから聞こえる。

 沙耶が目を丸くしたまま呟いた。
「……なんでこんなに情報が広がってるの?」
「動画のせいだろ」
 羽生が肩をすくめる。

 瀬古はいつもどおり無表情だが、スティックを握る手だけが緊張して見えた。

 僕の胸は早くも落ち着かない。

 そして――
 そのざわめきの中心には、おそらく彼女がいる。

 あの日の歌声。
 風のように自由で、どこまでもまっすぐで。
 誰かを震わせてしまうほどの音。

 それが、今日のステージで響く。

 

◆控室での沈黙

 演奏者用の控室に入ると、他のバンドが練習の最終調整をしていた。
 アンプの音、チューニングの音、ドラムのスネアの響き。

 その空間に、美咲の姿はまだなかった。

「まだ来てないんだな……」
 羽生が腕を組みながら言う。

「大丈夫だよ。絶対来る」
 沙耶が少し強い口調で言った。

 瀬古が小さく頷く。
「来る。昨日の声でわかった」

 僕は深く呼吸した。
 美咲が来るか来ないか――それは怖くなかった。
 “来る”と信じていた。

 ただ、彼女が今日はどんな気持ちでステージに立つのか。
 それが心配だった。

 

◆本番、一時間前

「……来たよ」

 静かな声に振り向くと、美咲が扉の前に立っていた。
 白いワンピースに薄手のカーディガン。
 髪を後ろで一つに束ねて、目元は少し緊張していた。

 だけど、その表情には昨日までにはなかった“覚悟”があった。

「遅れてごめん」
「ぜんぜん、大丈夫!」
 沙耶が心からの笑顔で駆け寄る。

「ほんとに来たんだな……」
 羽生がつぶやくと、美咲は照れくさそうに微笑んだ。

「来ちゃった。……怖いけど、逃げたくなかった」

 その一言で、控室の空気が一気に温かくなった。

 

◆ステージ袖へ

 本番十五分前、控室のドアが開いた。

「次のバンド、準備お願いします!」

 ステージスタッフの声に合わせて、僕たちは楽器を手に取る。

 ステージ袖に向かう廊下は、まるで異世界につながっているみたいだった。
 同じ学校なのに、そこだけ空気が違う。

 観客のざわめきが、壁を震わせる。

「すごい人だ……」
 沙耶が息をのむ。

 羽生がカーテンの隙間から覗き、目を丸くした。
「なあ……これ、マジでやばいぞ」
「どれくらい?」
「立ち見が出てる。最後列までぎっしり」

「みんな、あの子を見に来たの?」
 美咲が震えた声で言う。

 羽生が即座に否定した。
「違う。俺らの演奏を聴きに来たんだよ」
「……嘘」
「嘘じゃねえって。
 動画の子が誰かなんて関係ねぇ。
 今日歌うのは、お前だ」

 美咲はゆっくりと目を閉じた。

「……ありがとう」

 

◆直前の円陣

 ステージの照明が灯り始める。
 舞台袖が青白く照らされ、僕らは楽器を持って輪になった。

「緊張してる?」
 僕が聞くと、美咲は苦笑した。

「してるよ。……でも、逃げたいほどじゃない」
「逃げたかったら逃げてもいい」
「逃げないよ」
 美咲の返事は、しっかりしていた。

 羽生が拳を差し出す。
「じゃあ、気合入れようぜ」
 瀬古も無言で拳を出し、沙耶が重ねる。

 最後に美咲が、そっと拳を置いた。

「今日、思いきり歌って」
 僕が言う。

「思いきり、歌うね」

 

◆幕が開く

「続いてのバンドは――
 “Re:sound”!!」

 司会の声が響いた瞬間、観客席から歓声が上がった。
 ライトが点滅し、幕が左右に引かれる。

 一歩踏み出すと、光が僕たちを包んだ。

 眩しい。
 そして温かい。

 ステージの上に立った瞬間、
 観客の顔、ホールの広さ、空気の震え……
 全部が一度にのしかかってくる。

 美咲はマイクの前で立ち止まり、その光景をじっと見つめていた。

 

◆最初のコード

「……じゃあ、いきます」

 美咲がマイクに触れた。
 観客のざわめきがすっと静まる。

 僕はギターを構え、深呼吸をひとつ。

 右手を上げる。

 ジャーン。

 最初のコードが鳴り響くと同時に、空気が震えた。
 羽生のベースが重く響き、瀬古のドラムが刻み始める。
 沙耶のキーボードが音に彩りを与える。

 観客が息をのむ気配がわかった。

 

◆美咲の声が、世界を変えた

 イントロが終わり、わずかな間が訪れる。

 そして――

 美咲の声が走った。

 澄みきった高音が、ステージを突き抜け、
 観客の心臓を直接揺らすみたいに響いた。

 誰かが息を呑む音が聞こえる。
 誰かが友達の腕を掴む気配がする。

 その声は、確かに“あの動画”の声だった。

 でも、生の声は画面越しとはまったく違った。
 昨日まで隠れていた力が、解き放たれたようだった。

 僕たちの音も、自然と美咲の声に寄り添う。
 音が重なり、混ざり合い、ひとつの景色を作っていく。

 その景色は、美咲が歌うたびに色を変え、
 ステージの中に風景を作り出していた。

 

◆観客の歓声

 サビに入った瞬間、
 観客席から悲鳴のような歓声が上がる。

「この子……!!」
「やばい……生で聴くと全然違う!」
「動画の子じゃん!!」

 その声のすべてが、美咲に向かっていた。

 でも美咲は動じなかった。
 顔を上げ、会場の隅々まで歌声を届けるように、
 一音一音を丁寧に、そして強く響かせる。

 僕はその横顔を見ながら、胸が熱くなった。

 ――ああ、やっぱりこの子じゃなきゃだめだ。

 

◆曲の終わり、そして…

 最後のコードが鳴った瞬間、
 観客は一秒間だけ静まり返った。

 そして――

 爆発する歓声。

 ホール全体が揺れるほどの拍手と歓声が、美咲を包んだ。

 美咲は驚いたように目を丸くして、それから笑った。
 緊張がすっと溶けるような、柔らかな笑顔。

 その瞬間、僕は思った。

 ――この場面を一生忘れたくない。

 

◆ステージは続く

 二曲目、三曲目と進むにつれ、
 観客の熱はどんどん高まっていく。

 美咲は最初よりもずっと自然な動きになり、
 歌うたびに身体がリズムを刻む。

 羽生のベースも、瀬古のドラムも、沙耶の鍵盤も――
 美咲の声に合わせるように生き生きと響いていた。

 この瞬間、
 僕らは本当の意味で“バンド”になった。

 

◆最後の曲のイントロ

「次が最後の曲です」

 美咲がマイクで言うと、
 客席から「えー!」「もっと聴きたい!」と声が飛ぶ。

 美咲は照れくさそうに笑い、
 僕の方を向いて小さく頷いた。

 僕も頷き返す。

 そして――
 ギターのイントロを弾き始めた。

 あのフェスで歌われ、動画でバズった曲。

 観客席から悲鳴のような歓声が上がる。

「これって……!!」
「動画の曲だ!!」

 美咲はマイクを握り直し、
 深く息を吸った。

 そして――
 あの日と同じメロディが、文化祭のステージに響き始めた。

 あの日よりも、もっと強く、もっと優しく。