【AI小説】現実のようなフィクション

フィクションでしか描けない“現実”がある。 小説を通して、社会と心のあいだを見つめていく創作ブログです。

『選挙AI、はじめました。』 ― 素人候補とAIが挑んだ、3か月の奇跡 ― 第3話 「街の声を、拾い集めて」

千葉駅前のロータリー。
朝の光がガラスの壁面を反射し、マイクの音を切り裂くように風が吹き抜けていく。
春から初夏へ向かう空気の中、通勤客の流れは冷たく速い。
「おはようございます!」
何度も繰り返すうちに、声のトーンも、息の吸い方も覚えてきた。

最初の頃は、人の目が怖かった。
けれど今は違う。
人の無関心が、静かに沁みるようになった。
通り過ぎる背中にも、それぞれの生活がある。
僕の声が、そのどこかに届けばいい――そう思うだけだった。

手伝ってくれている学生の結衣が、笑顔でチラシを配っている。
「朝から元気出ますね!」と声をかけるその姿を見て、
若い人がこうして動いてくれることの意味を感じた。
後ろでは花屋の斎藤さんが、折りたたみの机を直している。
その手つきが、妙に丁寧でやさしかった。

僕はマイクを握り直した。
「小さな声を拾い上げる。僕は、それをしたいと思っています。」

その瞬間、通り過ぎる中年の女性がふと立ち止まり、
短くうなずいた。
それだけで、胸の奥に火がともる。
演説が終わる頃には、もう汗で背中が重くなっていた。
街の音が遠くに霞み、空だけがやけに広かった。


昼過ぎ。古い商店を改装した小さな事務所に戻る。
壁のホワイトボードには「午後:南口」「夕方:商店街」と書かれている。
僕はペンを持ったまま、立ち尽くしていた。
スマホが机の上で震える。
通知を開くと、短いメッセージ。

――『本日の通行量、昨日より17%増。推奨話題:子育て支援

指先が止まる。
静かな部屋に、心拍だけが響く。
僕はスマホを伏せ、深呼吸をした。
画面の光が壁に反射して、一瞬だけ部屋を照らす。
誰も知らない。
この光の意味を、僕以外の誰も。

「昼ごはん、買ってきました!」
ドアが開いて、結衣が顔を出す。
手にはコンビニの袋。
「先生、疲れてます? 今日、ちょっと顔がこわいです。」
「いや、考え事してただけ。」
笑うと、結衣はホッとしたように頷いた。

斎藤さんが笑いながら言った。
「若い子たちが見てるんだから、もっと元気出してよ。
政治は根性より継続だから。」
「はい、わかってます。」
軽く頭を下げながら、
自分が抱えている“静かな秘密”が、ふと重くなった。


午後。
商店街に立つと、焼き鳥の匂いと、遠くのラジオの音が混じっていた。
風の向きで声が跳ね返り、言葉が街に溶けていく。
チラシを配る結衣の声。
「こんにちは! 地域の活動について話しています!」

僕はマイクを握り、目の前の人を見た。
通りすがりの若い母親が、ベビーカーを押して足を止めた。
子育て支援って、どんなこと考えてるんですか?」

少し驚いて、
「えっと、保育園の待機児童を減らすことや……」
言葉を探している間に、
後ろから子どもの笑い声が響いた。

母親は微笑んで、
「そういうの、ちゃんと考えてくれる人がいるだけで救われます。」と呟いた。

その言葉を聞いて、
スマホの中の“推奨トピック”なんてどうでもよくなった。
僕はただ、「ありがとうございます」と言って頭を下げた。


夜。
街頭を離れ、静かな路地を歩いて帰る。
ふと、ショーウィンドウに映る自分の姿を見る。
手に持ったマイクの跡が、まだ指に残っていた。

事務所に戻ると、真帆が待っていた。
机の上にコーヒーが二つ。
カップから立つ湯気が、部屋の灯りにかすんでいた。

「今日もお疲れさま。」
「……ありがとう。聞いてたんですか?」
「少しだけ。駅前で。」
真帆は穏やかに笑った。
「人の声、増えてきましたね。」
「分かるんですか?」
「うん。あなたの声が届くと、街の空気が少し変わる。」

その言葉が、なぜか心に残った。
僕は彼女の隣に座った。
外の雨音が、かすかに聞こえていた。

「……これでいいんですかね。僕、何をしてるんだろうって思うときがある。」
「いいと思いますよ。」
真帆は窓の外を見ながら言った。
「正しいことより、まっすぐなことを選んでる。
それだけで、続ける理由になります。」

彼女の声が柔らかく、
その静けさの中に、言葉にできない理解があった。
画面の隅で、ひとつのアイコンが点滅している。
誰にも言えないその光を、僕は目を逸らさず見つめた。


夜更け。
事務所の照明を落とし、机に残る資料を片付ける。
外はもう雨が上がっていた。
スマホの画面が一瞬だけ光る。
短いメッセージが表示される。

――『今日の演説、平均滞在時間12分。反応指数上昇。』

僕は画面を閉じ、息を吐いた。
「ありがとう。」
そう呟くと、
スマホの光がゆっくりと消えた。

壁に貼った地図の上、ピンで留めた街の名前を指でなぞる。
一か所ずつ、思い浮かべる。
今日声をかけてくれた人たち。
チラシを受け取ってくれた学生。
立ち止まってくれた母親。

数字にはならないけれど、確かに残るもの。
その一つひとつが、僕を動かしている。


翌朝。
曇り空の下、いつもより早く家を出た。
鞄の中にマイクと、折り畳みの台。
そして、小さなメモ帳。

1ページ目の端に、鉛筆で書かれた文字がある。
――「街の声を、拾い集めて。」

誰の字か分からない。
けれど、その言葉を見つめるたび、
胸の奥で小さな灯がともる。

その光は、誰にも言えない秘密。
それでも、僕にとっては確かな希望だった。


(第3話 了)