真帆の演説動画がSNSで広がったのは、ほんの数日のことだった。
スマホの通知が止まらず、取材のメールが次々と届く。
「新しい風が吹いている」――そんな見出しをつけた地元紙の記事が、駅の掲示板に貼られていた。
嬉しいはずだった。
だが、胸の奥には小さな違和感があった。
街を歩けば、「この前の女の子だ」と声がかかる。
真帆は戸惑いながらも笑顔で応じていた。
ただ、僕はその光景を見ながら、
“注目される”ということが、こんなにも息苦しいものなのかと知った。
夜、事務所に戻ると、スタッフが興奮気味に言った。
「すごいですよ! 今日のフォロワー、1万超えました!」
「テレビ局からも連絡ありました! インタビュー来るかもしれません!」
机の上に積まれた書類と、パソコンの画面。
数字は確かに伸びていた。
けれど、その数字の向こうにある“顔”が、まるで見えなかった。
誰が本当に応援しているのか。
誰がただ面白がっているのか。
それを知る術はなかった。
次の日から、事務所には人が増え始めた。
商店街の会長が差し入れを持ってきてくれた。
地元の青年会のメンバーが、「ボランティアとして参加したい」と名乗りを上げた。
大学生のグループが「SNS広報を手伝います」と申し出てくれた。
その一つひとつが、嬉しくてたまらなかった。
けれど、少しずつ違和感が混じっていった。
「ポスターにうちの店の名前を入れてくれる?」
「次の演説、うちのイベントとコラボしません?」
「若者向けに、もっと“映える”写真を出したほうがいいですよ。」
言葉の端々に、“支援”と“宣伝”の境界が曖昧になっていくのを感じた。
真帆は、その様子をじっと見ていた。
夕方、片づけが終わった後、彼女がぽつりと言った。
「……なんか、少しずつ違う方向に行ってる気がします。」
「違う方向?」
「うん。最初は“街の声を拾う”って言ってたのに、
最近は“見せる”ことばっかり考えてませんか?」
言い返そうとして、何も言えなかった。
彼女の言葉は、正しかった。
数日後。
演説の予定だった駅前の広場に着くと、
すでに別の候補がステージを設営していた。
申し込みを入れていたはずの時間。
担当者に確認すると、
「上から指示がありまして……すみません」と小さく頭を下げる。
その言葉の裏に、
“誰かの意図”を感じ取るのに時間はかからなかった。
僕らの活動が、既存の議員たちの神経を逆なでしていたのだ。
翌日、商店街のポスターも一部が撤去されていた。
「うちはこれ以上、関われないから」
そう言われても、責める気にはなれなかった。
誰もが、見えない力に怯えていた。
事務所に戻ると、真帆が黙ってポスターを直していた。
「……私たち、何か悪いことしましたか?」
その問いに、僕は首を振るしかなかった。
「正しいことをしてても、邪魔に思う人はいる。」
「それでもやめないんですか?」
「うん。敵を作りたいわけじゃない。
でも、立ち止まる理由もない。」
真帆はその答えに、少しだけ笑った。
「ほんと、頑固ですね。」
「お互い様でしょ。」
その瞬間、少しだけ空気がやわらいだ。
夜。
外の風が強く、看板の紙がはためいていた。
窓の外に街灯の明かりが揺れる。
真帆が資料をまとめながら言った。
「それでも、今日、人が増えましたね。
私、ちょっと怖いけど……嬉しいです。」
僕は机に肘をつきながら、
かすれた声で答えた。
「見えない敵より、見えない希望を信じたい。」
その言葉を聞いた真帆は、
一瞬だけ目を閉じてから、小さくうなずいた。
「……いい言葉ですね。私、それ好きです。」
部屋の中に、静かな時間が流れた。
遠くで街のざわめきが、少しずつ夜に溶けていく。
翌朝、駅前。
薄曇りの空の下、マイクを握る手がわずかに震えていた。
真帆が横で笑う。
「大丈夫。ちゃんと届きます。」
マイクを通して、久しぶりに声を出した。
「おはようございます!」
その響きに、周りの人たちが足を止めた。
通り過ぎる中年の男性が笑顔でうなずく。
小学生がチラシを受け取り、「ありがとう」と言って走り去る。
声の届く範囲はまだ小さい。
でも、その一つひとつが確かに広がっていく。
昨日よりも、少しだけ近くまで。
夕方、商店街の角を曲がったところで、
ひとりの老婦人が僕を呼び止めた。
「あなたたちね、最近よく見るわよ。
この街、明るくなった気がする。」
その言葉を聞いたとき、
胸の奥の曇りが、ほんの少し晴れた気がした。
事務所に戻ると、真帆が椅子に座っていた。
「おかえりなさい。」
「ただいま。」
「今日も人、多かったですよ。」
「そうだね。」
短い会話の中に、静かな充実があった。
外は、もう夜。
窓の外の街灯が、少し揺れている。
その光が、まるで波紋のように広がっていた。
(第5話 了)