体育館の前に生まれた“異様な列”
体育館の外には、開場前だというのに長蛇の列ができていた。
文化祭のバンドイベントで、ここまで人が集まったことなど一度もない。
校門を越えて道路まで伸びるその列は、まるでプロミュージシャンのライブのようだった。
「おい……本当にこれ、文化祭だよな?」
ベースの甲斐が半笑いで呟く。
喉が乾き、心臓の音がやたら大きく響く。
理由はひとつ。
“謎の少女”が歌うかもしれない。
その噂が、ここまで人を動かしてしまった。
控室に響く沈黙
控室に入った瞬間、空気が重くなった。
メンバー全員がソワソワと落ち着かない。
「……で、彼女、来るの?」
ドラムの遥が不安そうに聞く。
「正直わからない」
昨日の夜、返事はなかった。
でも最後に「考えておく」とだけ、彼女は言った。
その一言で、俺は今日ここに立っている。
その時、甲斐が叫ぶ。
「また拡散されてる!」
SNSには“謎の少女の正体求む”がトレンド入り。
学校名、文化祭の会場、動画の切り抜き――
もはや小さな炎上だ。
俺は自分の胸に手を当てた。
——来るのか?
——来ないのか?
どちらの可能性もある。
だけど、ひとつ明確なこともあった。
彼女が来なければ、このステージは空っぽのままだ。
本番15分前、扉の向こうから聞こえた声
本番15分前。
ステージ裏の薄暗いスペースで、誰も話さなかった。
ドラムの遥はスティックを握ったまま深呼吸を繰り返す。
甲斐は落ち着かずに歩き回る。
そのとき――。
「……ごめん。遅くなった」
背後から静かな声が落ちてきた。
振り返る。
そこに――
彼女がいた。
昨夜より少しだけ疲れた表情で、
けれど確かに自分の意志でここに来ていた。
「……来たんだな」
声が震えた。
「友達に怒られてさ。『行かないなら絶交する』って言われた」
彼女は照れながら言った。
その笑顔で、胸がほどけた。
「一回だけ。歌うの」
「……それでいい。十分だよ」
彼女はギターケースを開けた。
迷いのない手つきだった。
「じゃあ、合わせようか」
その声に、俺たちは一斉に立ち上がった。
鳥肌が立つほどの一体感
リハーサルは一発で決まった。
まるで彼女の声を元に作られた曲みたいに、
音が一つに溶けた。
「……やっぱ、この人は本物だよ」
遥が小声で呟く。
甲斐もうなずく。
俺は全員を見て言った。
「行こう」
その瞬間、誰も反論しなかった。
俺たちは、すでに賭けていた。
“あのときの声”を、世界にもう一度響かせるために。
幕が上がり、世界が変わった瞬間
体育館の幕が上がる。
歓声。
スマホの光。
興奮とざわめき。
イントロが響いた瞬間、客席から悲鳴に近い声があがった。
「これ……あの曲じゃない!?」
「本物!?」「嘘でしょ!」
そして――。
彼女の歌声が体育館に流れた。
一瞬で静まる空気。
空気が震える。
息をする音さえ聞こえる。
フェスの動画を超えていた。
昨日のリハをも超えていた。
全身が震える。
涙が出そうになる。
この日――
彼女は“謎の少女”ではなく、“名前のあるひとりの歌い手”になった。