夏の朝は、いつもよりまぶしく見えた。
蒸し暑い空気、遠くから聞こえるセミの声。
胸の奥で、何かがゆっくりと膨らんでいく。
――今日で終わるんだ。
この夏が。
このチームが。
そしてレオの、高校野球の時間が。
地区大会・決勝戦。
勝てば甲子園。
負ければ、すべてが終わる。
けれど俺たちは知っていた。
“終わらせるわけにはいかない” ということを。
■ レオ、復帰。
試合開始二時間前。
球場の裏の通路。
レオはゆっくりと歩いてきた。
白いユニフォームに袖を通し、
胸には「KITASEN」の文字。
その姿を見た瞬間、
俺の喉が詰まった。
「レオ……!」
彼は笑った。
昨日までの苦しい表情じゃない。
覚悟を決めた人間の、静かな笑顔だった。
「颯。
俺、投げるよ」
「……大丈夫なのか?」
「分からない。
でも、医者にも監督にも言った」
レオは胸に手を当てた。
「――“この夏だけは、俺に夢を見させてください”って」
涙が滲んだ。
こんな言葉、反則だろ。
監督はしばらく沈黙した後、ただ一言。
「……自分の責任で投げろ。
その代わり、絶対に無茶はするな」
レオは深く頷いた。
「はい」
その瞬間、北泉は“本当のチーム”になった。
■ 決勝戦――王者・東修館高校
球場は満員だった。
鳳凰学院戦を超える観客、
ネットニュースを見て集まった地元の人、
そして全国から駆けつけた報道陣。
外野席には横断幕が揺れている。
〈北泉、奇跡を起こせ!〉
〈レオ、伝説を見せろ〉
アメリカの記者まで来ていた。
マスコミは完全に“時代の目撃”をしに来ていた。
対する相手は千葉の絶対王者、東修館。
選手一人ひとりが鍛え抜かれた強者で、
この十年間で七度の甲子園出場を誇る。
監督はつぶやいた。
「勝つには――レオが必要だ」
そんな言葉、言われなくても分かっている。
■ 試合開始
先発は……もちろん、レオ。
背番号「18」。
普段は控え投手の番号だが、
今日だけは彼のために用意された特別な番号だった。
マウンドに立ったレオを見て、
東修館の選手たちがざわつく。
「マジか……本当に投げるのか……」
「昨日まで倒れてたって聞いたぞ」
「でも……フォームがエグい」
レオは深く息を吸い込み、
初球を投じた。
――“ズバァンッ!!”
キャッチャーミットが悲鳴を上げる。
球速は 152km/h。
球場がどよめいた。
東修館の一番バッターは、完全に振り遅れた。
二球目、三球目。
レオは躊躇なく全力ストレートを投げ込む。
三球三振。
俺たちは知っていた。
この瞬間――レオは“限界を超えた”のだと。
■ しかし、身体は限界に近づいていた
4回、5回とレオは完璧だった。
東修館打線をノーヒットに抑え、
奪三振の数は二桁に迫る。
しかし6回表。
投げた瞬間、レオの身体がわずかにのけぞった。
(まずい……!)
キャッチャーの村上も気づいた。
マウンドに駆け寄る。
「レオ、お前……!」
「まだいける……大丈夫……」
大丈夫なはずがない。
息は荒く、指先は震えている。
だがレオは呟いた。
「颯……頼む。
あと……あと少しだけでいい」
その声は弱い。
でも、気持ちは誰よりも強かった。
監督は迷った。
しかし――
「レオ。
あと一回だけ投げろ。
それで交代だ」
レオは小さく頷いた。
■ そして――最後の一回
7回表。
東修館の四番、千葉県が誇るスラッガーが打席に立つ。
観客席は総立ち。
マスコミのカメラが一斉にレオに向けられた。
――レオの“最後のマウンド”。
一球目。
ストレート、152km/h。
ギリギリファウル。
二球目。
外角へスライダー。
ボール気味のところをスラッガーが捉えかけるが、これもファウル。
(三振で終わらせたい……!)
三球目。
レオは真ん中へストレートを――
投げ込んだが、
その瞬間――
レオの膝が崩れた。
「レオッ!!」
球はミットに収まった。
球速 148km/h。
めいっぱいの力を振り絞った球だった。
そして……
審判が、右手を高く上げた。
「ストラーイク!! 三振ッ!!」
球場全体が揺れた。
騒音じゃない。
“感動”そのものの揺れだった。
レオはマウンドに倒れ込んだ。
行かせてはいけない――
でも、行かせてやらないといけない。
そんな矛盾の中で、
俺はレオを抱えるようにして立たせた。
「颯……最後まで……楽しかった」
レオは微笑んだ。
「お前の……キャプテンらしい声、聞こえてたよ……ずっと」
その瞬間、涙がこぼれた。
■ レオは交代。
しかし、勝負は終わっていない。
残り三回。
俺たちだけで戦う。
レオがいないマウンド。
でも不思議と、怖くなかった。
「颯、行くぞ」
「おう。
レオが繋いだ試合……絶対に落とさない」
■ そして最終回――
1―1のまま迎えた9回裏。
ランナー二塁。
俺の打席。
(レオのために――終わらせる)
初球。
見逃し。
二球目。
ファウル。
三球目。
甘い球が来た。
振り抜いた。
打球は左中間の深いところへ伸び――
フェンス直撃。
「回れ!颯、回れェェッ!!」
スタンドが揺れる。
仲間の声が風のように吹き抜ける。
俺は全力で走った。
そして――
ホームイン。
「サヨナラァァァ!!!」
「北泉高校ッ!! 甲子園出場決定ーー!!」
球場が爆発した。
涙、叫び、抱き合う仲間。
その中心に、レオがいた。
車椅子に乗せられながら、
静かに笑っていた。
■ そして、レオの旅立ち
甲子園出場を決めた翌日。
レオは渡米した。
空港にはチーム全員が揃った。
監督も、マスコミも、記者もいた。
レオは最後に俺の前に立つ。
「颯。
本当に……ありがとう。
俺の最後の夏を、最高の夏にしてくれた」
「バカ。
帰ってきたら、また一緒に野球やるんだよ」
レオは首を横に振る。
「ごめん。
投げられないかもしれない。
でも――」
その先を言わず、俺に手を差し出した。
「お前と出会えて、よかった」
握手を交わす。
涙が止まらなかった。
そしてレオは、振り返らずにゲートへ向かった。
■ エピローグ――さよなら、日本
その後、レオは手術を受けた。
結果は――
投手への復帰は難しいが、打者としてなら可能。
ニュースは世界中を駆け巡った。
そして一年後、
ひっそりと一本の記事が発表された。
写真は、日本の空に手を伸ばすレオの後ろ姿。
俺はその記事を読みながらつぶやいた。
「行けよ、レオ。
お前なら世界のどこでも輝ける」
窓の外では、夏の光が差し込んでいた。
あの日のように。
あの日、天才が現れたように。